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2020.03.16

データドリブン型の食事改善による健康寿命延伸の可能性

世界に誇る健康長寿社会の実現に向けて

原 誠 

日本は世界一の長寿国である一方、日本人の多くは死亡する10年ほど前から日常生活に支障が生じはじめ、介護を要するなど自立した生活を送ることが困難となる。「ピンピンコロリ」という言葉がもてはやされて久しいが、高齢者が健康を保って自立した生活を謳歌し、豊かな人生の最期を迎えられる社会を実現するための鍵は何か。近年、医学や薬学の分野と比べて非科学的と捉えられる傾向にあった「食」の効果に改めて着目し、高齢者の健康増進・介護予防に活用する取り組みが進められている。こうした取り組みを進め、「食」による健康長寿社会を実現するためには、「食」に関する品質の良いデータを収集・解析していくことが重要となる。

要介護になるきっかけと予防の方向性

日本人の平均寿命・健康寿命は男女共に継続して延伸しているものの、平均寿命と健康寿命の差は縮小しておらず、平均して男性は8.8年間、女性は12.4年間の不健康な期間、つまり健康面の課題から日常生活が制限された期間を過ごしている。この間、多くの場合は要支援・要介護状態となり、自立した生活を送ることが困難になる。

厚生労働省の調査によると、要支援・要介護状態となる最も大きな原因は認知症による認知機能の低下であり、このほか老衰や、骨折・転倒、脳卒中、心疾患をきっかけとした身体機能(日常生活を送る上で必要な動作を行うための身体的な機能のことをいう。)などの低下が挙げられる。高齢者が自立した生活を継続するためには、これらの予防および改善を行うことが重要であるが、いかなる方法が効果的であろうか。

この点、薬物療法による予防・改善には限界があると考えられている。認知症に関してはこれまで投薬による予防の試みが行われるとともに、治療のための創薬開発も多く行われてきたが、投薬による予防効果は限定的にしか期待できない状況にあり、認知症の薬物療法も対処療法としての効果しか持たず、治療薬として確立されたものはない。

また、加齢や疾病等をきっかけとした身体機能等の低下については、遠因となる生活習慣病等の治療を除き予防が困難であり、また、きっかけとなる疾病自体の治療は可能であるものの、これに伴う機能低下に対応する薬物療法は未だ研究段階にあり限定的な効果しか得られておらず、理学療法的なアプローチが行われるに止まっている。

そこで、介護予防や認知機能・身体機能の向上のためには、食事、運動、社会参加などの薬物によらない方法が重要になるが、特にすべての人が生きていくために毎日摂取する食事に着目し、その内容をデータ分析により改善する可能性が注目されている。

データドリブン型の食事改善の可能性

高齢者の介護予防や認知機能・身体機能の向上において、食事が重要であることは誰もが認識するところである。一方、重要であることは認識しつつも食事の改善による効果は非科学的と捉えられる傾向にあり、結局は自らの食事内容を積極的に改善することはなく、嗜好に応じて食事を摂っている高齢者が多いと推測される。好きなものをおいしく食べることはもちろん大切だが、なぜ高齢者は薬を飲むのと同じように介護予防や機能向上のために食事を改善しないのだろうか。貧困などが理由である場合もあり単純ではないが、根底にある問題は、自らがどのような食事を摂取すべきであるかが明確になっていない点にあると考えられる。つまり、飲むべき薬が分からないのだ。

高齢者がどのような食事を摂るべきかについては、確かに厚生労働省が「日本人の食事摂取基準」を策定しているほか、これまで機能性成分に関する栄養学的なアプローチ(例えばEPA・DHAといったn-3系脂肪酸の認知症予防等の効果など)やコホート研究による疫学的なアプローチ(例えば野菜や果物をよく摂取する人は心筋梗塞や循環器疾患のリスクが低いなど)による知見の集積がなされている。しかし、「日本人の食事摂取基準」は食事のバランスとその摂取量の一般的な基準にはなるものの、個々人の年齢や体質、抱えている疾病などに合わせた最適な食事内容がそこから明らかになるわけではない。また、これまでの研究成果も機能性成分や食品の持つ一般的な効果を明らかにしているが、核心となる「私は今日何を食べ、何を食べるべきではないのか」といった疑問を解決してくれるわけではない。

このような理由から高齢者の食事改善が積極的に進められてこなかったと考えられるが、今般いわゆるビッグデータの解析技術の進歩に伴って、科学的にパーソナライズされた食事を提案・提供することが可能になると考えられている。

例えば、個々の高齢者の年齢、性別、ゲノムの情報や、BMI、病歴、口腔内・腸内フローラ、メタボローム、認知機能、生活機能の推移等の情報を含む医療・健康関連のビッグデータと、これらの高齢者の摂取する食事の品目・品種、機能性成分等の情報を含む食事関連のビッグデータを結合して解析するプラットフォームを構築することで、どのような高齢者がどのような食事を摂ればどのような健康状態になるかを推測することができる。このような基盤を構築すれば、個人が自らの医療・健康データを入力することにより、当該個人の介護予防・機能向上を図る上で最適な食事が提案・提供されるサービスも民間の事業者によって展開されるだろう。介護予防・機能向上による健康寿命の延伸を図る観点から、こうしたデータドリブン型食事改善技術の社会実装が重要ではないだろうか。

データドリブン型の食事改善の実現に向けて

上記のような個々人のデータに基づいて最適な食事を提案・提供する構想については、2019年に閣議決定された統合イノベーション戦略や農林水産省で策定された農林水産研究イノベーション戦略においても盛り込まれており、今後も官民で取り組みが進められていくと想定される。

一方で、プラットフォームの基礎となるデータをどのように収集していくかが今後の大きな課題である。これまでの既存の研究はそれぞれ取得しているデータの範囲や精度にばらつきがあるため、それらをまとめて解析することには限界がある。また、一般家庭の食事を正確に記録することは容易ではない。こうした点を踏まえると、提供する日々の食事のデータや通所者・入所者の医療・健康データを取得し、管理している介護施設からのデータ取得が最も効果的といえるだろう。

介護施設においては至るところで食事の工夫がなされている。ある介護老人保健施設では、玄米や菜食を中心に摂取して動物性のタンパク質を制限する食事体系を実践し、施設の通所者や入所者に365日提供するとともに、通所者・入所者の認知機能や生活機能に関するデータを取得して介護予防や生活機能向上における効果を検証している。このように、多様な食事を提供する各介護施設から、食事データとともに通所者や入所者の医療・健康データを取得することで、パーソナライズされた食事の提案・提供サービスを実現する基盤を整備することが可能となる。

消費者である高齢者に届けるべきサービスを開発し、普及させていく段階は民間事業者の創意工夫に委ねるべきであるものの、民間事業者の協調領域である上記の基盤整備自体は行政主導で進められることが望ましい。概念実証が行われないまま国において多額の予算を投入することは難しいと考えられるため、高齢者の介護予防・機能向上が実現すれば、自治体の負担する介護給付費も削減されることを踏まえ、まずはいくつかの自治体が連携し、ソーシャルインパクトボンドの枠組みを活用するといった方法により、基盤整備の第一歩を踏み出すべきと考えられる。

日本の高齢者が病院で医師から薬を処方されるように、個人の健康にとって最適な食事がアプリ上で提案され、その中から個人の嗜好に合った食事が自動で配食されるような世の中も近い。そのような社会が実現し、「食」の力で健康寿命を延伸することができれば、日本は名実ともに世界一の健康長寿国として世界のモデルになるだろう。

原 誠

地方創生/農業再生担当

マネージングディレクター

金融機関のシンクタンク、監査法人の公共部門等を経て現職。企業向けのコンサルティングに長年従事し、主に新規事業開発、管理会計等を手掛ける。近年は、国のプロジェクトを中心に、主に農業、食品、介護分野の実証的なプロジェクトに従事。国や地方自治体、財団等の有識者委員なども多数。

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