2022.03.23
原口 夏美
人的資本の情報開示の対象として求められる「ダイバーシティ(diversity)」は、2000年代から日本企業でも重要視されているものの、ダイバーシティ推進が成功している事例は多くない。 本稿では、事例を踏まえ日本企業のダイバーシティ推進における課題を明らかにし、そこで求められる人事部の役割を考える。 また、昨今、ダイバーシティの対となる概念として注目されている「インクルージョン(inclusion)」についても併せて解説する。
2018年に国際標準化機構が公開したISO30414[1]の開示項目の内の一つにダイバーシティに関する項目が含まれていたことや、2021年6月に東京証券取引所が改訂、公表したコーポレートガバナンス・コード[2]に新たに「企業の中核人材における多様性の確保」が追加されたことを受け、昨今、改めてダイバーシティへの注目度が高まっている。
そうした中、これまでの「ダイバーシティ」「多様性」だけでなく、関連したワードとして「インクルージョン」も耳にするようになった。
「ダイバーシティ」とは「多様性」「相違点」などと訳され、個人や集団間のさまざまな違いという意味合いが強い。企業におけるダイバーシティ推進では、多様な人材を受け入れるための取り組みを指すことが多い。
一方、「インクルージョン」とは、「包含」「一体性」などと訳され、Shore氏らが2011年に発表した論文[3]では、インクルージョンの概念を「社員が帰属感を持ちながら自分らしさを発揮し、かつ職場でそれが尊重されている状態」と定義している。
インクルージョンのフレームワーク
※Shore et al.(2011, P1,266)[3]を邦訳、一部筆者にて加筆・修正
つまり、ダイバーシティとは、多様な人材が会社に属している「状態」であり、その多様な人材をどのようにインクルージョンさせるかは別の考え方となってくる。
日本でダイバーシティが認識され始めたのは、1980年代~1990年代にかけてである。当時の日本では、男女の雇用差別が問題視されており、差別を是正するための法律が次々と整備された。
また、2000年代からは、「男女」に限らず、外国人、シニア人材、セクシャルマイノリティなどの「多様性」の意味合いでのダイバーシティが本格的に注目され始める。新聞記事にダイバーシティという言葉が掲載され始めたのも2000年代前半である。
しかしながら、20年経った現在でも、ダイバーシティ推進が真に成功している企業は少ない。前述したが、ダイバーシティ推進はダイバーシティ(=多様な人材が会社に属している状態)のみでなく、インクルージョン(=組織で尊重/認められることで、自身の個性や強みを活かしていく)と合わせて検討・推進していくことが重要となる。だが、日本企業では、外国人採用や女性活躍推進など、多様な人材を雇用するための施策のみに焦点をあて、その多様な人材の帰属意識がどのように醸成されるのか、個々の能力を発揮するために何を求めているのかまで考えきれていないケースが多くあるように感じる。
そこで、ダイバーシティ推進が日本企業の重要な経営課題とされ続けているのはなぜか、ダイバーシティ推進を成功させるために人事部に求められる役割とは何か、筆者の経験を振り返りながら事例と共に紹介する。
まずは、日本企業で多くの企業が掲げている女性活躍推進を例として挙げる。
筆者が数年前に関わっていたA社では、女性の活躍推進を目指し、女性管理職比率などのKPIを導入し、KPI達成に向けた施策を講じていた。
しかし、KPIの伸びは今一つの状況で、マジョリティである男性社員からは「女性活躍の指標を設けることで、優秀な男性社員が管理職に昇進しにくくなるのではないか」「ある意味で男性差別になるのではないか」という、不満の声も挙がってきた。
当初、指標が目標値にいかなかった原因は明確になっていなかったが、インタビューやデータ分析を通じて、A社で女性活躍がうまくいかない原因が2点明らかになった。
1点目は、KPIにより、「女性としての活躍」が強調されすぎていた点だ。前述した通り、男性社員から不満の声は挙がっていたが、同様に、女性社員からも「女性であるために優遇されているように感じる」「能力がないのに評価されすぎているのではないか」と施策に批判的な意見があることが確認できた。
2点目は、産前/産後休暇、育児休暇などの出産育児サポートや勤務体系に関する基本的な制度は導入されていたものの、その他の領域には未着手の状態であった点だ。
KPIを達成することが第一の目的となり、真の意味で女性に活躍してもらうために何が必要か、またさまざまなライフイベントがある中で、女性自身がどのようなことを会社に求めているのかを検討しきれておらず、施策を推進すること自体が、逆に女性の居づらさを促進することとなってしまった事例である。
女性活躍の一般的な取り組み領域の全体像とA社の着手状況
これを踏まえて、A社では、これまでの施策の問題点を見直し、「女性がライフステージに関わらず、中長期的に働ける職場」を目指して新たに着手すべき領域を検討した。
これまでは、制度を整備することに重点を置いていたが、その制度を活用してもらうために、まずは組織風土や社員の意識改革に新たに着手した。管理職層の意識改革を行うことで、社員一体となって出産や育児での休暇や時短勤務を取りやすい雰囲気を醸成していくことを目指した。また、女性がキャリアを描けるようにするためのキャリア支援や時短勤務等で不当に評価を下げられることがないように評価制度の見直しも実施した。
結果、A社では、管理職を目指したいという女性が増加し、かつ他社員がそのような女性をサポートする組織風土へと変化していった。
A社の新たな着手領域
筆者は、インドでの勤務経験がある。インドはさまざまな民族、宗教、言語が混在する国であり、筆者の働いていたB社にも異なる属性を持つ社員が勤務していた。そこでの経験がダイバーシティ&インクルージョンを考えるヒントとなるため、例として取り上げたい。
B社のインド人は民族・宗教といった個人の属性を当たり前のものと捉え、お互いに歩み寄りながら業務を遂行していた。例えば、イスラム教に属する社員は毎日5回の礼拝があり、礼拝が業務時間と被ることもある。しかし、社員はそれを当たり前のことと捉え、打ち合わせの時間を調整するなどのできる限りの配慮を行っている。
また、各民族には異なる言語があるが、職場ではできる限り英語を用いることが暗黙のルールとなっていた。とあるインド人社員に「なぜ、英語を用いるようにしているのか」と尋ねたところ、「民族の言語を用いることで、その言語を理解できない社員が疎外感を感じる可能性があるから英語を主に利用している。特にこのオフィスにはインドで用いられる言語が全く分からない日本人もいるので当たり前の配慮だ。」と述べていた。
一方、C社でインド人エンジニアの採用・定着支援をした際に、人事担当者から以下のような相談を受けたことがある。
外国人採用を進めている企業では、同様の課題を抱えていることもあると思うが、筆者は違和感を抱いた。
そこで、C社に採用されたインド人エンジニアに話を聞いたところ、「日本人から、仕事に直接影響しない、日本語の順番や句読点を注意される。ネイティブと比較すると気になることなのかもしれないが、母国語が異なる中、細かい指摘を受けることに驚いた。」、「自分の意見を言うと、すぐに外国人だから何も考えずに自分の意見だけを押し付けてくると言われる。また、誰かに相談したくても一線引かれているような感じがして気軽に相談できない。」という話であった。
他方、C社の人事担当者は、「句読点等は日本人社員に対しても注意することがあり、インド人社員を他の日本人社員と同様の扱いをしないことは差別となるのではないか。」という意見を持っていた。
近年では、日本企業で働く外国人の増加に伴い、外国人の多様性を認めながら働くことが自然になっている日本人も増加しているのではないか。一方で、B社のインド人のように多くの民族/国籍の社員と働く機会の少ない日本人は、日本の文化(考え方、業務の進め方等)を中心に考え、その文化から外れる社員の多様性を認めづらい傾向にあると感じる。また、多様性は理解しているものの、どこまで日本人と同じように指導してよいのか悩んでいるケースもあるのではないか。
今回は自身の経験を通じて、性別や国籍に捉われず、真のダイバーシティ&インクルージョンを推進する上での課題とそこで重要となる人事の役割を整理する。
人事の役割
まず1点目は、多様な人材を受け入れる基盤づくりである。ダイバーシティ推進はこれまで日本企業でも考えられており、特に女性という属性においては育児・出産関連や勤務体系に関する制度の整備は進んできている。しかし、昨今では、女性に限らず、外国人やシニア人材、またLGBTなどの幅広い属性の社員の制度を考える必要性が生じている。優遇と取られる過度な制度を導入する必要はないが、社内のマイノリティ人材の悩みを解消するための制度を改めて考えるべきだ。ここ2~3年で、制服を廃止する金融機関も増えている。
2点目は、属性に拠らず公平・公正に評価をする仕組みづくりである。「~だから(例えば、女性だから)」という理由では優遇されず、また、「~だから(例えば、時短だから)」という理由で不利益/不自由を被ることもないという、存分に身を賭して仕事ができる環境を構築することが重要である。
必要に応じて、社内マイノリティを評価する際のガイドラインを示し、評価者に研修を実施することも有効である。ここで重要なのが、公平・公正な評価であり、「優遇」する評価ではないという点だ。前述したが、外国人社員の言語についても、「優遇」ではないが、ある程度の配慮を加える(例えば、細かな日本語の使い方で評価を下げることはしない、など)も必要だろう。
最後に、多様性を受け入れる文化醸成である。まずは管理職の意識改革を行い、部下にその文化を浸透させていく。多様な文化とは何か、そのためにどのような行動をとるべきかを人事部として整理し、研修を行ったり、定期的に社内に情報発信を行ったりすることも一つの手段である。せっかく制度を導入しても、社内の雰囲気からうまく活用できないという状況に陥る企業も少なくない。男性が育児のために育児休暇を取りにくいというのは、その他の要因もあるが社内の文化が障壁となっている例が多い。まずは、管理職の意識を変え、誰しもが平等に制度を活用し、働ける環境を目指していくことが重要である。
また、社内マイノリティ、特に外国人社員の場合、上司とのコミュニケーションを確保するために1on1などを仕組み化し、定期的なコミュニケーションの場を設けることも社員のインクルージョンを高める効果を期待できる。上司がコミュニケーション手法に悩む点があれば、人事部として指針を示す、アドバイスを行うことも施策の効果を高めることに繋がるのではないか。
日本の人材不足やさまざまな価値観が生まれる中、ダイバーシティは今後も日本企業が考えなければならない課題の一つとなる。本稿が、多様な人材がそれぞれの個性や強みを発揮し、組織を強化していくために必要なダイバーシティとは何かを理解し、インクルージョンの概念も念頭に置きつつ、改めて人事部として何をすべきかを見つめ直すきっかけになれば幸いである。